【玉璞の漢詩】 2016年3月25日更新 末尾に漢詩のルール解説があります。 メニューへ戻る

●今年も懲りずに蔵頭詩

寄濱田博司師退任  はまだひろししのたいにんによす

濱海名好新見島  ひんかいなよししんけんのしま 
田郷遠隔客心温  でんきょうとおくへだつともかくしんあつし 
博文約礼攷偏倚  はくぶんやくれいしてへんいをかんがう
司命何如起始元  しめいいかにしてしげんをおこすかと 

大西洋のほとり「新発見の島(ニューファウンドランド)」とは実にいい名じゃないか。郷里は遠く離れていても旅人の心は温かい。博文約礼して、左右非対称について考えを巡らす。LeftyとNodalが左右を決めるまではわかった。しかしそのNodalを決めるのは何か。発生の神様はどうやって元の元を起こすのだろうかと。(七絶仄起偏格、平声元韻温元。博文約礼=君子博学於文、約之以礼(君子は博く文に学びて、これを約するに礼を以てす)論語・雍也篇より=君子は広く文物に学び、その本質を礼を以て見抜く。司命=神の名、人の出生や寿命を支配するという。平成廿八乙未年三月十日作)


寄吉川和明師退任  よしかわかずあきしのたいにんによせて

吉厄任天非所詮  きつやくはてんにまかせせんずるところにあらず
川深不識入疋前  せんしんはあしをいるるまえにはしらず
和氏璞石磨成璧  かしははくせきみがいてへきとなし
明哲熱塵蒐為巓  めいてつはねつじんあつめててんとなす

吉と出るか凶と出るかは天に任せ、私があれこれ詮ずる所ではない。川の深さは足を入れる前にはわからない。やってみるべし。楚の卞和(べんか)は原石を見抜いて磨き璧とした。今の明哲は熱塵(ネクジン)を集めて高嶺を築く。(七絶仄起平声先韻詮前巓、転句第二字仄声、天川冒韻。転句は「韓非子」中の成句「和氏の璧」を引く。平成廿八乙未年三月九日作)

寄米崎哲朗師馳弁噬菌体遺伝子  よねさきてつろうしのファージいでんしをしべんするによす

米飯天頭不必従  べいはんてんとうかならずしもしたがわず
崎嶇学道苦須容  きくたるがくどうくすべからくいるるべし
哲人忘食遺伝子  てつじんのぼうしょくのいでんし
朗朗無尽弁臆胸  ろうろうつくるなくおくきょうをべんぜしむ

「米の飯とお天道様はついて回る」というけれど、研究者を志した七〇年代には、そんな保証はなかった。けわしい山道のような学問の道、苦は先刻承知の上のこと。哲人の忘食の遺伝子は、気力充実尽きることなく思いのたけを語らせる。(七絶仄起平声冬韻従容胸、平成廿八乙未年二月十四日作、中国語ではバクテリオファージのことを噬菌体=ぜいきんたいといいます)


続・料理生物学

厨前梧葉未衰頽 ちゅうぜんのごよういまだすいたいせず
夢醒池塘春草回 ゆめはさむるともちとうにしゅんそうかえる
誰謂少年当易老 たれのいいぞしょうねんまさにおいやすしと
学難成故不愉哉 がくなりがたきがゆえにたのしからずや

キッチンの窓外に見える街路樹のプラタナスの葉は、まだ枯れ落ちていない。夢は覚めても池に春草はまた戻ってくる。「少年老い易く学成り難し」って誰が言ったんだ。少年だってそう簡単に老いはしないし、学は成りがたいからこそ楽しいんじゃないか。
梧葉云々は、朱熹の訓辞として伝わる「少年易老学難成、一寸光陰不可軽、未覚池塘春草夢、階前梧葉已秋声」を踏む。2015年5月15日作、七絶平起上平声十灰韻頽杯哉。

●今年も先輩を送る蔵頭詩を二首

寄河村悟師   かわむらさとるしによす

河水清澄尚有魚 かすいせいちょうにしてなおうおあり
村中来問此人居 そんちゅうきたりてとうしじんのきょ
悟言精緻且宏大 ごげんすればせいちかつこうだい
師語理時棄百書 しのりをかたるときひゃくしょをすてよ

「水清ければ魚棲まず、人敏ければ徒居らず」とはいうが、清くしてなお魚が集まる河と、敏くしてなお弟子を集める師がおられるという。村人がひっきりなしに来て問う、「その方はどこにおわすか」と。師と問答すれば、あるときは緻密に、あるときは宏大に。師が自然の理法を語る時、百冊の書は不要となる。平成二七年三月六日、玉璞小倉明彦作。(七絶平声魚韻、魚居書。「水至って清ければ即ち魚無く、人至って察(さと)ければ即ち徒無し」は「孔子家語・入官篇」より。「村中この人有りと聞き、咸(みな)来たりて問訊(もんじん)す」は「陶淵明・桃花源記」より。)

寄倉光成紀師   くらみつせいきしによす

倉卒噴騰高熱泉  そうそつふんとうすこうねつのいずみ
光明異菌基因全  いきんのじーんすべてをこうめいす
成功之下蓋長処  せいこうのもとなんぞひさしくおらざるや
紀律身厳泰々然  きりつみずからげんにしてたいたいぜん

伊豆の山里から突然高熱の温泉が噴出し、なんとその熱湯の中に生き物がいるという。この別世界の細菌の全遺伝子と蛋白質を完全に解明するというプロジェクト。成功裡に打ち上げた。しかし師は留まることなく去って後進に道を譲るという。紀律をみずから厳に課して、先生は泰然と微笑まれる。平成二七年三月七日、玉璞小倉明彦作。(七絶平声先韻、泉全然。中国語では遺伝子を(遺伝)基因といい、中国語音でそのままジーンと発音する。音と意味とがよく合った訳だ。「成功のもと久しく処(お)るべからず」は「史記列伝十九・范雎(はんしょ)蔡沢(さいたく)伝」の成句。秦(しん)の宰相蔡沢が燕(えん)との同盟を成功させると間をおかず辞職した。なぜ名声のうちにとどまらないのかと問われて蔡沢は答えた、「成功を得たら長くそこに留まらず、自ら退いて後進に道を譲るべきだ」と。)

送母 ははをおくる

阿母愛憐花信期 あぼあいれんすかしんのとき
厨房幽聞早春詩 ちゅうぼうかすかにきくそうしゅんのし
三月緑蕾長無動 さんがつりょくらいひさしくむどうなるも
四月紅英短発披 しがつこうえいにわかにはっぴす
五月粗荒青棘草 ごがつそこうなるあおきとげくさは 
六月精鮮赤薔薇 ろくがつせいせんたるせきそうびとなる
一柯枯槁得新朶 いっかここうするもしんだをえたり
冀望美心伝嬌児 こいのぞむらくはびしんきょうじにつたわらんことを

母は花の便りを待つのが好きでした。二月、台所から「春は名のみの」と早春賦を小声で口ずさむのが聞こえました。三月、桜の蕾はなかなか開こうとしませんが、四月の声を聞くや否や、一斉に紅の花を開きます。五月にはぱっとしない棘草だったばらが、六月、鮮やかな大輪を咲かせます。母はそうした花の変貌が大好きでした。去る五月十五日、一本の老いた枝は枯れ落ちましたが、六月十日、入れ替わるように新しい花枝が生まれました。この子に曾祖母の美を愛でる心が伝わりますように。(2014.8.2作於七七忌、七律平声支韻、期・詩・披・薇(微通韻)・児、第三・六句第二字拗字)

水遠池 ずいおんいけ

一夕出門巡苑池  いっせきもんをいでてえんちをめぐる
山長水遠嘯唐詩  やまはながくみずはとおくとうしをうそぶく
軽舟短棹航何処  けいしゅうたんとういずこへかわたる
浪上廿年思所期  ろうじょうにじゅうねんしょきをおもう

ある秋の午後、千里門を出て水遠池のほとりをそぞろ歩く。李遠の「黄陵廟」の一節を口ずさむ。軽舟短棹唱歌して去り、水遠山長人を愁殺す。ああ、その舟はどこへ去ったのだろう。思えば私も浪速の地にはや二十年、当時期する所があったはず。それを思い出そう。(2013.11.2作、七絶仄起平声支韻、池詩期)
(参考) 李遠「黄陵廟」 黄陵廟前莎草春、黄陵女児茜裙新、軽舟短棹唱歌去、水遠山長愁殺人【三体詩】

寄洪庵忌 こうあんきによす

適有因縁列塾生  たまたまいんねんあってじゅくせいにれっし
兢々管見釈鴻名  きょうきょうとしてかんけんこうめいにしゃくす
隣師輸益携刀侍  しにとなりしてゆえきかたなをたずさえてじす
閉帳開顔風葉清  ちょうをとじてかいがんすればふうようすがし

たまたまの巡り合わせで阪大に勤め、適塾生の列に加えていただき、今日はおそれながら自分の研究を居並ぶビッグネームの前で紹介することになった。総長の傍らには洪庵先生が居られ、その隣には福沢諭吉や大村益次郎らが刀を持って侍っている、そんな気配がする。二階の書生部屋の大黒柱には、塾生が論に激してか酔いに任せてか切りつけた刀痕が無数にあった。あの刀だ。何とか話し終えてノートパソコンを閉じ、緊張を解くと、風にさやぐ前栽の緑葉が清々しい。(2013.6.10作、七絶仄起平声庚韻、生名清)


●130401 3月末をもって退任される同僚の先生方に、蔵頭詩を作って贈りました。蔵頭とは各句の頭文字を拾って並べると別の意味が浮かび出る暗号遊びみたいな作のことで、贈答によく使われます。日本の短歌/俳句にも「折り句」、西洋にも"acrostic"といって同様の形式があります。

寄米田悦啓先生退任 よねだよしひろせんせいのたいにんによす

米塩博弁漸疲惓 べいえんはくべんようやくひけん
田苑将蕪数便船 でんえんまさにあれんとしてびんせんをかぞう
悦予未然山気起 えつよいまだしからずとさんきおこり
啓程再往遠帰年 けいていさいおうきねんとおしとす

雑用といってはいけないが、細かいことをあちこちにいちいち説明して回るのにだんだん飽きてきた。研究室に戻りたい。陶淵明が「田園まさに蕪(あ)れんとす、帰りなんいざ」と詠った気分で、帰りの船便を指折り数えて待っていた。それなのに、山の方から雲が起こり「お楽しみはまだ早い」と呼ぶではないか。また長旅に出なくてはならないか。故郷に帰るのがまた遠のいてしまった。

「米塩博弁」は「韓非子・説難」にある語で、米も塩も日常的で細かいもののたとえ。分りきった細かい物事をくだくだと説明すること。「田苑」は田園と同じ、園が平字でここに使えないための言換え。悦予はのんびり楽しむこと。「啓程」は「程(みち)を啓(ひら)く」ことで旅の始まり。「遠」は延とほぼ同じ、長く延期すること。延が平字でここに使えないため言換え。(130401作、七絶平起平声先韻)

寄近藤寿人先生退任 こんどうひさとせんせいのたいにんによす

近時之智往時情 きんじのちとおうじのじょう
藤下宗師自集英 とうかそうしありおのずからはなぶさをあつむ
寿宴罍空談不尽 じゅえんらいむなしくしてだんつきず
人孚人志初遺名 ひとはじんしをはぐくんではじめてなをのこす

最近の智識と昔かたぎの情熱。藤棚の下、宗師の周囲には自然と花房が(英才が)集まる。めでたい宴もたけなわを過ぎ、酒樽もとうに空っぽになってしまったが、談論はまだまだ尽きない。なるほど、人とは、人と志を育んでこそ名を遺すのだな。(130326作、七絶平起平声庚韻情英名)

寄村上富士夫先生退任 むらかみふじおせんせいのたいにんによす

村墟不必静閑区 そんきょかならずしもせいかんのくならず
上意頻頻迷客途 じょういひんぴんとしてかくとにまよう
富貴非欣通理快 ふうききんにあらずつうりかいなり
士将辞累成城夫 しまさにるいをじしてせいじょうのふたらんとす

池田伏尾台から箕面彩都と、都心を避け静閑の地を求めてもそうはならない様子。省庁の政策対応、学会の運営処理、学内・科内の諸事対応、つぎつぎに難題は続いて、霞ヶ関で迷子になりそう。富貴は喜ばない、道理の通ることが嬉しい。今度こそ煩わしい物ごとから解放されて成城の夫*となろう。(*一国一城を築く哲人:詩経・大雅編の成句「哲夫成城」に因む、なおその後は「哲婦傾城」と続く)(130326作、七絶平起平声虞韻区途夫、海容結句下三平連)

寄井上明男先生退任 いのうえあきおせんせいのたいにんによす

井井条条科学元 せいせいじょうじょうたるはかがくのはじめなるも
上情下理度揚言 じょうをうえにりをしたにしてときにようげんす
明窓浄几素違性 めいそうじょうきはもとよりせいにたがう
男子本懐為楽存 だんしのほんかいはいらくにそんす

整然たる論理に従うのが科学の初めだとはいうけれど、時には情熱が先に論理が後になって大声を上げることだってある。明窓浄机(窓をみがき机をすっかり整えること)なんてもとより性に合わない。男子の本懐はオモロイことをすることだ。(130314作、七絶仄起平声元韻元言存)

寄福山恵一先生退任 ふくやまけいいちせんせいのたいにんによす

福禄近時微 ふくろくきんじわずかなり
山人屡憤非 さんじんしばしばひをいきどおる
恵風吹故里 けいふうこりよりふく
一願暢披衣 ひとえにねがうのどかにいをきるを

最近はいい話がほとんどない。給料も減ったし。都会人は物わかりがよすぎる。私はおかしいことはおかしいと怒る。と、故郷から優しい春風が、誘うように吹いてきた。この上は、のんびりゆったり心落ち透けて過ごしたいものだ。(「披衣」はゆるい着物を流して着ること。気ままに過ごすようすの形容)(130308作、五絶仄起平声微韻微非衣)。


元旦排寒気拝旭日 がんたんかんきをはらってきょくじつをはいす

襲衣袍裘覓緒陽 ほうきゅうをしゅういしてしょようをもとむ
西天残月絹雲黄 せいてんにざんげつありけんうんきなり
東山稜角光芒閃 とうさんのりょうかくにこうぼうひらめき
忽請昌平再就牀 こつにしょうへいをこうてふたたびしょうにつく

初日の出を見ようとセーターとジャンパーを重ね着して門を出る。寒い。西方の空にはまだ白い月が残るが、すでに空は明るさを増し、黄金色の絹雲が流れる。寒い。東方の山、ここと思っていたのとは少し違う稜線の一角に光芒が一閃した。寒い。限界。おざなりに天下太平を祈って家に戻り、また床にもぐりこむ。(130101作、七絶仄起平声陽韻陽黄牀)


立於物心一元論 ぶっしんいちげんろんにたつ

感時恨別胸中微 ときにかんじわかれをうらむはきょうちゅうのび
描鳥写花頭内機 とりをえがきはなをうつすはとうないのき
心物二元無所怪 しんぶつにげんしてあやしむところなきも
脳能解脳又非非 のうよくのうをかいすまたひにあらずや

時のうつろいに涙し、人の出会い別れに驚くのは心の機微、花鳥を絵に描くのは脳のからくり、心と脳とを分けて、物心二元論でとらえるのはたやすいし、それはそれでもいい。だが、私は神経科学の一学徒である。物心一元、脳は脳を理解できるという立場で行く。どや、悪いか。(2012.7.3作、七絶平起平声支韻微機非、起句下三平連、近藤寿人先生編「芸術と脳の対話」に寄せて) 感時、恨別、花、鳥は、詩聖杜甫の五律「春望」に次す。


一月一日 いちがつついたち

元旦朔風雄 がんたんさくふうたけく
吹雲氾碧空 くもをふいてへきくうをあまねくす
飛鳶廻大圏 ひえんたいけんをめぐり
昇幟截弧Q えんしこをきってきゅう

正月の朝、強い北風が雲を吹き払い、紺碧の空をおしひろげている。寒い。その青空にトンビがくるーりと大きな円を描いて飛ぶ。こどもたちの揚げる凧の糸がその円を真っ二つに切る。Qの字のように。空を青み 鳶の輪を截(き)る 凧(いかのぼり)。
(2012.1.1作、五絶仄起平声東韻雄空)

料理生物学 りようりせいぶつがく

医食是同源 いしょくはこれどうげん
食知不異根 しょくちもこんをことにせず
百科円環教 ひゃっかえんかんのおしえあり
炸餅遶真言 さくへいしんごんをめぐる

医食同源という。私にいわせれば、食と知も同源である。フランス革命のとき、ディドロとダランベールは、「市民は知に目覚めるべし」「知識は円環をなす」と唱えて、百科全書を刊行した。そしてその大啓蒙書を円環教(アンシクロペディEncyclopaedie)と名付けた。いま私の目の前にドーナツがある。このドーナツが知とすれば、それが内側に巻くものは森羅万象を貫く真理かもしれない。(2011.4.1作、五絶仄起平声元韻源根言、転句拗体二四同平)


寄震災 しんさいによす

災禍畳重人奄息 さいかじょうちょうしてひといきをふさぎ
田園蕪廃野亡色 でんえんぶはいしてのいろをうしなう
垣前紅有一山茶 えんぜんべにありいちさんさ
宛若掲灯興志力 あたかもともしびをかかげてしりょくをおこさんとするがごとし

災厄が続いて人々は息も絶え絶え、田園は荒れ果て山野は色を失っている。そんな中、垣根にサザンカが紅の花を咲かせている。灯を掲げ、私たちの勇気を引き出そうとするかのように。(2011.3.15作、入声職韻息色力、例外的に仄韻で作りました、2012年賀) ***今日、このサザンカの株が根元から切られているのを発見し、愕然とする。ありし日の姿は年賀状2012を参照(120813)。


桂香 けいこう 

十月金風運雅香 じゅうがつきんぷうがこうをはこぶ、
桂花砕々覆蹊黄 けいかさいさいみちをおおってきなり、
秋声質我何為也 しゅうせいわれをただすなにをかなせるや、
太暑弁疏貪酒漿 たいしょべんそしてしゅしょうをむさぼるのみかと。

早くも十月になってしまった。ふとどこからか良い香りが漂ってくる。キンモクセイの小さな花が落ちて拙宅前の路面をオレンジ色に覆っている。秋風が私を詰る。お前は今年一年何かやったか。暑い暑いと言い訳してビール・ジュースを飲んでいただけではないかと。(2010.10.10作、七絶仄起平声陽韻香黄漿、2011年賀)

詠父 ちちをよむ

大正享生唱自由 たいしょうにせいをうけてじゆうをうたい
昭和修文識迫憂 しょうわにぶんをおさめてうれいのせまるをしる
吶喊俄揚朋産草 とっかんにわかにあがってともがらくさをむし
玉音終降衆垂頭 ぎょくおんついにくだってもろびとこうべをたる
復興穿腑前途遠 ふっこうふをうがってなおぜんとはとおく
再起塞心来路悠 さいきしんをふさいでらいろはるかなり
卒寿不衰思犬子 そつじゅおとろえずけんしをおもい
平成夕月漸臨休 へいせいせきげつようやくきゅうにのぞむ

大正三年、日本がはじめて経験するデモクラシーの世に生を享け、自由の空気を吸ったのも束の間、学校に通い物ごとを知るうちに、雲行きの怪しくなっていくのを肌で感じる。物産に入って国際貿易に携わるようになり、情勢が見えてくるや否や、召集だ。宇都宮連隊の通信兵。満州事変から太平洋戦争になだれ込む。学校の友人も兵隊仲間も、次々と満州で、仏印で、南洋で、水漬くかばね草むすかばねとなっていく。昭和二十年、やっと終戦の玉音放送。さあ復興だ。物はない、金もない。でも知恵と意地だけはある。胃に穴があこうが休んではおれない、まだまだ道は遠いのだ。心筋梗塞で倒れたとき、病院のベッドの上で、戦友たちに、何とかここまで来たよと語りかけた。引退して十年余、九十になっても、大阪の息子はまだ半人前。心配は尽きないが、そろそろ潮時かもしれない。九十五年、十分生きた。平成二十年秋分の日、日暮れとともに休むとしよう。(2009.11.1 七七忌日に、七律平起平声尤韻由憂頭悠休、乞海容第一句二六不同)

寄井上慎一先生退任 いのうえしんいちせんせいのたいにんによす

井然条理断乎言 せいぜんたるじょうりだんこたるげん
上猛下厳求本源 うえにたけくしたにきびしくほんげんをもとむ
慎独則之君子道 しんどくすなわちこれくんしのみち
一休回顧学林繁 いっきゅうしてかいこすればがくりんしげし

整然たる論理に断乎たる結論。その峻厳な姿勢は、斯界の権威にも駆け出しの学生にも等しく向けられ、なぜそうなのか根本の原因を求め続けた。厳しさは自らにも向けられる。慎独(ひとりでいる時にも行いを崩さないこと:四書の一「大学」中の語)こそ君子の道。精励四十数年、ひと息ついて来し方を振り返れば、先生の歩んできたあとには豊かな学の林が繁っている。(2009.3.8作 七絶平起平声元韻言源繁)


●090201 板東英二さんといえば、今はお笑いキャラだが、元は名投手である。昭和33年8月16日の徳島商−魚津高の延長18回の大熱戦を、当時7歳だった私も、うっすらながら覚えている。その熱戦を伝える作者不詳(新聞記者らしい)の漢詩が、今朝の朝日の朝刊に載っていた。

好投能制敵村椿 ●○○●●○ 二三二切 踏落とし
必殺剛球彼板東 ●●○○●●◎
鳴尾甲園闘志漲 ○●●○○●●
白球飛箭挑蒼穹 ●○●●○◎ 球再出
縦横快技守塁美 ○○●●●● 塁は仄字 下仄三連
十万喊声呼熱風 ●●●○○●◎ 
傾尽精魂回十八 ○●○○○● 十再出
健児名聞永無窮 ●○○●●○◎

この七言律詩、押韻も平仄も近体詩の作法にかなった(一部破格=上記注=はあるが)感動作である。その日の試合直後に託されたというから、球場での即興作である。それでこれだけ詠めるということは、昭和33年当時、日本の漢詩文化はまだ健在だったということであり、それもまた感動である。ただ、残念ながら、律詩の真骨頂であるところ対句がない。頷聯(第3句と第4句)と頸聯(第5句と第6句)は、それぞれの中で対称的な一組の表現をなしていなくてはならない、というのが律詩のルールである。そこで、はなはだお節介ながら私が修正を施す。

村椿漁敵此難攻 ○○○●●○◎ むらつばきてきをすなどるこのなんこう
踊躍強肩彼坂東 ●●○○●●◎ ようやくするきょうけんかのばんどう
鳴尾甲園闘志漲 ○●●○○●● なるおこうえんにとうしみなぎり
徳魚両港喚声隆 ●○●●●○◎ とくぎょりょうこうにかんせいたかまる
縦横守備如飛鳥 ○○●●○○● じゅうおうのしゅびはひちょうのごとく
曲直投球似疾風 ●●○○●●◎ きょくちょくのとうきゅうはしっぷうににる  
傾尽精魂回十八 ○●○○○●● せいこんをけいじんするかいじゅうはち
健児名聞永無窮 ●○○●●○◎ けんじのめいぶんとこしえにきわみなし

蕎麦田 そばばたけ

烏啄朱方畔道辺 からすしゅほうをついばむはんどうのほとり
露降桜葉帯紅妍 つゆはおうようにおりてべにをおびてけんなり
霏霏細雪花蕎麦 ひひたるさいせつははなきょうばく
啜食之時既改年 これをてっしょくするときすでにとしをあらたむ

あぜ道の柿ノ木に烏がとまって、実をついばんでいる。桜の葉に露が下り、紅を帯びて美しい。秋になった。蕎麦畑は一面粉雪のような花。さて、これが実って収穫され、粉に碾かれて蕎麦となり、それを私が啜る時、それはもう一年が終わる時か。時の経つのがますます早い。(七絶仄起先韻辺妍年、2008.10.1作/2009年賀)


臥床観朝陽 がしょうしてちょうようをみる 

奇遭小患離人寰 たまたましょうかんにあってじんかんをはなる
旭日通櫺射睡顔 きょくじつりょうをとおしてすいがんをいる
黙見大空雲不動 もくしてみるたいくうくもうごかず
将尋漱石大愚還 まさにそうせきのたいぐをたずねてかえらんとす

たまたま健診で小異常が見つかり、世路を離れて入院した。この病室は真東に面しており、朝日がブラインドを通して私の寝ぼけ顔を直射する。夜明けの大空を見つめていると、雲はじっと動かない。ああ、これは修善寺で伏せった夏目漱石の状況ではないか。漱石は臥床中、荘子の「大愚」の悟りを求めたという。私もこの機会に後を追ってみたい。(七絶平起刪韻寰顔還、転句は漱石の五絶1910.9.29作に、結句は七律1916.11.19作に因む、2007.11.19作/2008年賀)

寄碩学加藤宏司先生退任 せきがくかとうひろしせんせいのたいにんによす

加智以情心 ちにくわえるにじょうしんをもってし
藤園酒甕林 とうえんはしゅおうのはやし
宏々生理論 こうこうたるかなせいりのろん
司学本懐深 がくをつかさどってほんかいふかし

知識はもちろん人情を大切にして、かくて藤棚の下は一升瓶の林となる。しかしどうだ、酒盃を交わしながら論ずる生理学理論のこの宏遠さは。学界のリーダーとして学理を究める本懐は深い。(五絶仄起平声侵韻心林深 2007.7.3作)


拝読宮崎俊一先生業績集 みやざきしゅんいちせんせいのぎょうせきしゅうをはいどくす

宮花凡骨憧 きゅうかはぼんこつのあこがれ
崎道万人虞 きどうはばんにんのおそれ
俊頴立収是 しゅんえいたちどころにこれをとり
一過尋有無 いっかしてのちうむをとう

宮殿の奥に咲く麗花は、凡人には望んでも手の出ないもの。険しい崖道は、万人が恐ろしくて行けないところ。なのに、天才は無造作にこれを摘み取り、臆することなくこれを行き過ぎて、あとから「えっ?そんなものがあったの」と聞くくらいのものだ。(平起虞韻虞無 起句踏み落とし 2007.6.16)

祝産総研共同研究論文被受理 さんそうけんきょうどうけんきゅうろんぶんのじゅりさるるをいわって

精微因子脳由来 せいびのいんしのうよりきたり
膜筏召兵妙計回 まくべつへいをよんでみょうけいめぐる
血脈胆醇吾困所 けつみゃくのこれすてろーるはわがくるしむところ
化成神意邃深哉 かせいのしんいはすいしんなるかな

BDNFがほんの微量放出されると、膜ラフトがタンパクを動員して面白いことが起こり始める。それはコレステロール合成を介した現象なのだけれど、こいつは血管内に蓄積して私をメタボで苦しめているヤツでもある。進化の意匠か造物主の悪ふざけか、造化の妙とは奥深いものだ。(後二聯を省いたほうがマシかも、平起灰韻来回哉 2007.5.4)


因生命機能研究科五周年和科韻 せいめいきのうけんきゅうかごしゅうねんにちなみかのいんにわす

生命機能研究科
生動万端原理何 せいどうばんたんげんりはなんぞ
命夫尽論尚疑多 めいふろんをつくしてなおぎおおし
機経杼緯成綾錦 きけいにちょいにしてりょうきんとなる
能合諸才解綺羅 よくしょさいをあわせてきらをとかん

生命ダイナミクスの表出はさまざまだが、それを貫く原理は何か。参加を命ぜられた研究者が論を尽くしても、まだまだ解けない疑問ばかりだ。しかし、多彩華麗なあや綾にしき錦も、はた機が縦糸を、ひ杼が横糸を通してできあがる。皆が才を寄せて融合させ、この綺羅の秘密も解きほぐしていこう。(2007.4.1.作 平起歌韻科/何多羅)

●070401 銀杏会館(阪大医学部同窓会館)の1Fは医学小博物館になっていて、面白いものが多い。そのうちの一つにパブロフ(1905年ノーベル生理学医学賞)の胃液、じゃなかった、パブロフの犬の胃液がある。パブロフは、今は「条件反射」の発見者として名高いが、ノーベル賞の対象は消化液の研究で、条件反射は餌をやらずに(つまり、餌の成分を混ぜることなしに)唾液や胃液を採取するための方法上の工夫に過ぎなかった。レトロなガラスの角びんに入った胃液は、今も清澄である。そのびんの横に、パブロフ先生を訪問した阪大の先輩の詩がある。これもまた面白い。全文を引用しよう。1910年といえば、日露戦争の終戦間もない頃である。詠者の感動には、研究成果への敬意ばかりでなく、パ博士の敵国人を歓待する度量の広さへの畏敬と、権威を振らない率直な人柄への尊敬が含まれている。そしてこの詩の最終段の「先生が手ずから餞けしてくれた一壜」の実物が、今そこにあるわけである。

訪巴武呂夫教授幽居 ぱぶろふきょうじゅのゆうきょをたずぬ 
  明治庚戌年(1910)瀬良好太 めいじかのえいぬ せらこうた

御者停車旧巷間 ●●○○●●◎ ぎょしゃくるまをとどむきゅうこうのかん
二層楼屋雪斑々 ●○○●●○◎ にそうのろうおくゆきはんぱん
斜傍外壁攀階梯 ○△●●○○● ななめにがいへきにそってかいていをよづ
表札懸軒寂閉関 ●●○○●●◎ ひょうさつのきにかかってせきとしてかんをとざせり

碩学幽居不構門 ●●○○●●◎ せきがくのゆうきょはもんをかまえず
一扉纔隔接乾坤 ●○○●●○◎ いっぴわずかにへだててけんこんにせっす
身凌雨露已知足 ○○○●●○● みうろをしのげばすでにたるをしる
志遠馳窮造化源 ●●○○●●◎ こころざしはとおくしきゅうすぞうけのみなもと

粛叩幽扉待応声 ●●○○●●◎ しずかにゆうひをたたいておうせいをまつ
家居簡素実堪驚 ○○●●●○◎ かきょかんそにしてじつにおどろくにたえたり
却思功業燦陰無 ●○○●●○● かえっておもうこうぎょうさんとしてかげなし
生理学壇馳盛名 △●●○○●◎ せいりがくだんにせいめいをはす

豈思先生自出迎 ●○△●●◎ あにおもわんやせんせいみずからいでむかうと
聴我来意目如驚 △○●●○◎ わがらいいをきいてまなこおどろくがごときも
須臾握手和顔曰 ○○●●○○● しゅゆにしててをにぎりかおをなごめていわく 
初値相見日人栄 ●●○◎ はじめてにちじんにあいみるのえいにあたいすと

先生更曰任希望 ○△●●●○◎ せんせいさらにいわくきぼうにまかせ
期午迎君大学堂 ○●△○●●◎ ごをきしてだいがくどうにきみをむかえんと
辞去駆車帝城畔 ○●△○●○● じきょしてくるまをかくていじょうのほとり
何図危入練兵場 ○○○●●○◎ なにをはかってかあやうくれんぺいじょうにいる

竟訪城頭大学林 ●●○○●●◎ ついにおとなうじょうとうだいがくりん
満庭残雪照天陰 ●○○●●○◎ まんていのざんせつしょうてんのかげ
先生如約親迎接 ○△○●○△● せんせいやくせしごとくしたしくげいせつす
改仰英風万感深 ●●○○●●◎ あらためてえいふうをあおいでばんかんふかし

教授短躯沈敏神 ●●●○○●◎ きょうじゅたんくなれどもしんびんのしん
胃腸生理学風新 ●○○●●○◎ いちょうせいりにがくふうあらた
為吾開放全施設 △○○●○○● わがためにかいほうすぜんしせつ
示説慇懃情可親 ●●○○○●◎ じせつすることいんぎんにしてじょうしたしむべし

備見先生実験場 ●●○△●●◎ そなえてみるせんせいのじっけんじょう
幾多良犬幾多房 △○○●▲○◎ いくたのりょうけんいくたのぼう
手移椅子使吾座 ●○●●●○● てずからきしをうつしてわれをざせしむ
示説余無施術方 ●●○○○●◎ じせつあますところなしせじゅつのほう

先驚繋犬特殊台 ○○●●●○◎ まずおどろくいぬをつなぎしとくしゅのだい
穿頬人工唾瘻開 △●○○●●◎ ほおをうがってじんこうのだろうひらく
舌笛一吹欹両耳 ●●●○○●● ぜってきいっすいりょうじをそばだつ
忽看分泌作流来 ●△○●●○◎ たちまちみるぶんぴつりゅうをなしてきたるを

還見胃液採取場 ○●●●◎ またみるいえきのさいしゅじょう
巨犬連頭作列長 ●●○○●●◎ きょけんこうべをつらねれつをなしてながし
豈思臨床已応用 ●○○▲● あにおもわんやりんしょうすでにおうよう
先生手餞一壜芳 ○△●●●○◎ せんせいてずからはなむけすいちびんかんばし

○は平字、●は仄字、△▲はどちらにもよめる両声字、◎は韻字である(すべて平韻)。アンダーラインは平仄の規則に反する用字(孤平孤仄は不問)だが、ごく少数に過ぎず、ほとんど正格の詩といえる。明治の文化人には、このくらいの詩作はたしなみのうちだったということである。


送義父長逝 ぎふのちょうせいをおくる

黄昏漫語少年春 こうこんそぞろにかたるしょうねんのはる   
早暁忽亡遺余咳 そうぎょうたちまちぼうじてよがいをのこす  
十載曇華初大発 じっさいのたんかはじめてたいはつす
西天安着献薫杯 せいてんあんちゃくにくんぱいをけんぜん   

昨夕はのんびり学生時代の話をしていたのに、今朝急に容態が変わり、たくさんの話を残したまま逝った。十年間花を着けなかった我が家の月下美人(優曇華)が、今夜初めて大輪の花を開いた。冥土への安着を報せたにちがいない。それをことほいで、献杯。(平起灰韻咳杯 起句踏落とし 2006.8.8作/2007欠礼状)

葬儀等のご心配の段ご無用に願いたく、しばらくアップを控えておりました。


陪乗車折神社三船祭供奉船 くるまざきじんじゃみふねまつりのぐぶせんにばいじょうす

水碧山青孰若濃 みずのみどりとやまのあおといずれかこき 
歌声琴韻和溶溶 かせいときんいんとわしてようよう  
白蛇奔躍虞三線 はくじゃほんやくすさんしんをおそるるか
不是神虫上化竜 しかずしんちゅうのぼってりゅうとなる

桂川の青い水と、嵐山の新緑とどちらの方が濃いだろう。地歌の歌声と琴の音と三線(さんしん;沖縄の三味線;胴は蛇皮)の音が、山と水とも溶け合って川の上を流れる。と、いきなり白蛇が後座船の下から飛び出して川面を渡り出したではないか。誰かがいう「三線の皮にされちゃうとパニクったのかな」。また誰かがいう「あれはご神体の蛇、雲に昇って竜になる」。それならこの上ない瑞兆だ。(仄起平声冬韻濃溶竜 2006.5.21)

稿上横陳 こうじょうにおうちんす

秋気半窓流入芳 しゅうきはんそうよりながれいってかんばし
乾田列架嘉禾黄 かんでんれっかのかかきなり
稿上横陳行雲数 こうじょうにおうちんすればこううんあまた
着信俄鳴復日常 ちゃくしんにわかになってにちじょうにふくす

半分開けた車窓から秋風が流れ込んできて、いい香りだ。刈入れの終った田んぼには黄金色の稲束がずらっと掛けられている。思わず車を降り、藁山の上に寝ころぶ。高い青空に流れる雲の数々。おっと、携帯が鳴った。今朝も会議の呼び出しか。(仄起平声陽韻芳黄常 2005.11.6/2006年賀)


送山本泰望先生退官 やまもとたいぼうせんせいのたいかんをおくる

山不譲土 やまはつちをゆずらず 
本然導師 ほんねんのどうしたり
泰山北斗 たいざんほくと
望自成之 のぞんでみずからこれとなる

泰山はわずかな土くれも拒まず容れる。だから高いのだ。これが本来自然の導師の姿である。山本先生は泰山と北斗七星とを望みつつ、ついに自らがそれになられた。(「泰山は土壌を譲らず、故に能く其の大を成す、河海は細流を択ばず、故に能く其の深きに就く」は秦の宰相李斯の言葉、泰山と北斗とは、ともに学問の殿堂あるいは学芸の成就者のたとえ、略して泰斗という。)(四言古詩、平声支韻師之 2005.3.18)


観能勢三番叟 のせさんばそうをみる

郷園偶興浄瑠璃 きょうえんたまたまじょうるりにきょうず
踏舞叟形青袷姿 とうぶのそうぎょうせいこうのすがた
耕土穫田餐寿壮 こうどかくでんさんしてそうをことほぐ
千年今昔互通時 せんねんのこんじゃくたがいにつうずるとき

たまたま機会を得て能勢浄瑠璃を観た。青装束の翁人形が足踏み踊る。土を耕して田を収穫し、一年の息災を感謝して宴を張る。八百年の時を隔てて、人の歓びの通じ合うひと時よ。(「三番叟」とは起源を13世紀にもつ豊作祈願・感謝の舞で、三人の翁が順に出てきて踊る)(平起平声支韻璃姿時 2004.6.27/2005年賀)

箕面滝紅葉 みのおのたきのこうよう

秋霜卒降彩箕山 しゅうそうにわかにおりてきざんをいろどる
大桂巨楓黄赤斑 たいけいきょふうこうせきまだらす
過日発瘡長怠業 かじつそうをはっしてひさしくぎょうをおこたる
迎年観瀑少憂患 げいねんのかんばくはゆうかんすくなかれ

きゅうに寒くなって箕面の山が色づいたので紅葉狩りに出かける。桂の大木の黄葉、楓の巨樹の紅葉が交じって滝壺に映える。先日、ストレス性のヘルペス疱疹にかかってしまい、しばらく仕事にならない日が続いた。来年の滝見はストレスなしで来たいものだ。(平起平声刪韻山斑患  2003.11.30/2004年賀)
PS. ストレスはその後も年々増す一方である。 


望月 つきをのぞむ

火風未尽已中秋 かふういまだつきざるにすでにちゅうしゅう
蝉語枝残蛬草稠 せんごえだにのこれるにきょうくさにしげし
望月南天慮外小 ぼうげつなんてんにありりょがいにしょうなり
遙哉背燭踏花遊 はるかなるかなはいしょくとうかのゆう

日中はまだ熱風が吹いているが暦の上ではもう秋も半ば。セミの声が枝に残っているが、それでも夜はコオロギが草むらにすだく。中秋の名月が天頂にかかっている。満月ってあんなに小さかったっけか。思えば青春の時もいつのまにか小さく遠くなったものだ。なお、結句は白居易の七律「燭ヲ背ケテハ共二憐レム深夜ノ月、花ヲ踏ンデハ同ジク惜シム少年ノ春(和漢朗詠集巻上二七)」を引く。(平起平声尤韻秋稠遊  2002.9.21/2003年賀)
 

悼伊藤憲一先生急逝 いとうけんいちせんせいのきゅうせいをいたむ

伊昔相知重結盟 そのむかしあいしりてかさねてめいをむすび
藤花紫下数交光*  とうかむらさきのもとしばしばさかずきをかわす
憲言有曰少易老 けんげんありいわくわかものおいやすしと
一子学成吾不成 ひとりしのみがくなれどもわれならず

その昔、たまたま知遇をえ、意気投合して何度も一緒に仕事をし、季節には藤棚の下で大杯をかわしたものだった。「少年老い易く学成り難し」という朱子の警句がある。「だからがんばらなくちゃ」といったあなたは、ひとり先に学を実らせた。が、「どうせそうだから」と楽に走って飲むばかりだった僕は、あれから15年以たって、いまだに学の実る気配はない。(光*は角へんに光、牛の角で作ったさかずき、広義に大杯のこと)。 (仄起平声庚韻盟光*成 請海容転句第六字仄字 2002.3.8)
 

秋旻飛鳶 しゅうびんのひえん

雲高百万画素秋 くもたかくひゃくまんがそのあき
山色誘人鳶嘯優 さんしょくひとをさそいえんしょうやさし
回首新聞戈剣響 こうべをめぐらせばあらたにきこゆかけんのひびき
則天之道尚存不 そくてんのみちなおありやいなや

澄んだ空に絹雲が高く飛び、山は黄葉紅葉。百万ピクセルの秋たけなわ。風景に誘われて山に登れば、頭上にトンビが輪を描いてピーヒョーと嘯く。しかし下界にはまた新たな戦雲がたちこめている。テロだ、報復だ、ゲリラだ、空爆だ。則天去私、人知は天に及ばず我執を去れとした漱石先生の大悟は、もうどこにも残っていないのだろうか。 (平起平声尤韻秋優不 2001.11.15/2002年賀)
 

悼畠中寛先生急逝 はたなかひろしせんせいのきゅうせいをいたむ

白朴雄芳倉卒零 はくぼくゆうほうそうそつとしておち 
田蛙喧噪悚然停 でんあのけんそうしょうぜんとしてやむ
中宵凶報衆腸断 ちゅうしょうのきょうほうにしゅうちょうたたるも
寛譬太星照寡亭 かんびのたいせいかていをてらす 

白い泰山木の大きく香り高い花が突然散り落ちた。季節を迎えて騒がしく鳴いていた田んぼのカエルが、突然すくんだように鳴きやんだ。夜中に悲報が走って人々に断腸の思いを迫る。だが、空には大きな星が上り、そう嘆くなよとやさしく諭すように、主のいなくなった家を照らしている。(仄起平声青韻零停亭 請海容結句第四字孤平冒韻 2001.5.25/2001.7神経科学ニュース所載)
 

元旦飛紙鳶 がんたんにしえんをとばす

朔風良疾紙鳶高 さくふうややはやくしてしえんたかし
童子馳駆霜野号 どうじちくしてそうやにごうす
焚幣断煙含薯気 ふんぺいのだんえんしょきをふくむ
大呑一嚔覓褞袍 たいどんすればいっていおんぽうをもとむ

北風が強くて凧がよく揚がる。子供たちが霜柱の立つ公園の芝生をキャッキャッと走り回る。のどかな21世紀の元旦。去年のお札を焼く煙がきれぎれに届くと、焼芋の匂いが混じる。深呼吸したとたんにハックション。ダウンジャケットはどこに脱いだっけ。(平起平声豪韻高号袍  2001.1.1)


古行 ここう

古行卒狭竹叢喬 ここうにわかにせまくしてちくそうたかく
斜阪漸嶇岩塊饒 しゃはんようやくけわしくしてがんかいおおし
疑是官衢虞獣径 うたがうらくはこれかんくかおそらくはじゅうけいか
寛顔石仏百年標 かんがんのせきぶつひゃくねんのしるべ

明治初年の地図を入手して、家のすぐそばを丹州街道(亀岡から池田経由で大阪に至る幹線道路)が通っているのを知り、歩いてみた。途中まではハイキング道路程度の手入れがされていたが、あるところから急に熊笹ぼうぼうで足元も見えなくなり、岩ごろごろの坂が険しくなった。本当にこれがかつての官道なのだろうかと不安になった時、苔むしたお地蔵さんが現れた。背に寛政十二年(1800)の銘。この石仏は今、二百年前の旅人に向けたのと同じ笑顔を僕に向けている。 (平起平声蕭韻喬饒標 1999.10.10/2000年賀)
 

桜花爛漫 おうからんまん

同愛桜花盛艶妖 ともにあいすおうかさかんにしてえんようなると
欅楡嫩葉似嬰髦 きょゆうのとんようえいもうににたるとを
毋憂気運非長矣 うれうるなかれきうんひさしからずと
美是美因去寸毫 びはこれすんごうにさるによりてびなり

今を盛りと妖艶に咲き誇るサクラの花も好きだし、ケヤキやニレの若葉がほよほよの赤ちゃんの髪のように華奢なのも好きだ。最近憂鬱なことばかり。いいことは長続きしないとつい嘆く。しかし考えてみれば、サクラが美しいのも若葉が美しいのもそれがすぐに過ぎてしまうからこそ美しいのだ。いいことは長続きしないからこそいいことなのかもしれない。それなら、たまに出会ったいいときには、めいっぱいそれを楽しもう。 (仄起平声豪韻妖髦毫 1999.4.10)
 

構内公孫樹 こうないのいちょう

秋昊碧碧吸崩雲 しゅうびんへきへきすってくもをくずし
鴨脚黄黄吹築墳 おうきゃくこうこうふいてつかをきづく
天運遺人無忘季 てんうんひとをのこすともときをわするるなし
遅聴背負怒車群 ようやくにきくせにどしゃのむれをおうを

秋空は高く雲を吸い取ってしまったように青い。銀杏の葉は黄金色に色づいて散り、風が集めて小山を築いている。人は忙しさに紛れて時の移ろいを忘れてしまうけれど、季節は必ず巡って来るんだな。そら青に青にいてふ黄に黄に風とほる、なんて一句ひねってボーと空を見上げていると、クラクションの音。車道の真ん中に突っ立った僕の背後には怒った車の列ができていた。(平起平声文韻雲墳群 1998.11.4/1999年賀)
 

雪暁通勤 ゆきのあさのつうきん

小雪站頭探券符 しょうせつのたんとうにてけんぷをさぐる
嚢中有触一紅珠 のうちゅうふれるありいちこうしゅ
漫想何処茲来了 みだりにおもういずれのところよりここにきたりしかと
卓礫然供童女需 たくれきしかりどうじょのもとめにきょうす

雪の朝、凍結した道をバイクでよろよろと駅まで行き、ポケットの定期券をさぐると指に触れた赤い珠一つ。それはどこから紛れ込んだか、南天の実。たなごごろでもてあそんでいると、小さな女の子が寄ってきて訊く。それ、おはじき? え、うん、そうだよ。あげよう。 (仄起平声虞韻符珠需 1998.2.23/2001年賀)
 

能勢電車秋日通勤 のせでんしゃにてしゅうじつのつうきん

常居瞻井景 つねにはすわってせいけいをみあぐるところ
偶起瞰盆郷 たまたまたちてぼんきょうをみおろす
田圃既芟半 でんぽすでになかばをさんす
排窓穀稿香 まどをおしひらけばこくこうのかおり

日生中央は始発駅だからいつもは座っていくところを、今日はたまたまドアの脇に立ってみる。座って眺めるのは窓枠で四角く区切られた妙見・北摂の山々だが、今朝眼下に広がるのはお盆のような田園。金色に穂を垂れてまさに収穫を待つ田と、すでに刈り入れを終えて刈穂の束ね干されている田とが、交互にちょうど半々くらい。のどかな秋景色に誘われて窓を押し上げると、車内に稲わらの懐かしい香が流れ込んでくる。(平起平声陽韻景郷香 1997.10.31/1998年賀)
 

虫の恋(1997.8.1/1997年残暑見舞)

ゴルフ練習場より流れ出づる小川の草土手に、ほつりほつりと黄青く光るあり。ふうはりふうやり、ただ飛び戯れるげに見ゆるか、やがてふたつ並びて葉にとまる。はじめ明滅定めなく見えたれども、いつか片や明すれば片や滅、片や滅すれば片や明と、息合はせあへり。
  月沈み蛍無言に語る恋

あぶら蝉の、昼、数にまかせてけたたましく鳴き貫けるが、夜に至りて、路地のかたはらに打ちつづき墜ちて、あふむけに動かず。死ぬるかと思ひて取り上ぐれば、指を咬みはげしく抗ふ。されば、ただ渇き倒れゐたりしかと樟の幹に当てやるに、たちまち力消えてふたたび根方に落つ。蝉の今ゆたかに恋を全うし終へて、しづかに果てなむとこそ思ひつれ。
  鳴き尽きて酔へるしじまと闇の夏
 

猪名川彫刻之路其二 いながわちょうこくのみちぱーとつー

秋孰黄雲朱果枝 しゅうじゅくこううんしゅかのえだ
雀隹銜穂列宮祠 じゃくすいほをくわえてぐうしにれっす
砲音劈気喊声発 ほうおんきをさいてかんせいひらく
我亦嘗為競走児 われもまたかつてきょうそうじなりき

実りの秋、一面の穂波、たわわな柿の実。稲穂をくわえた雀の群が鳥居に鈴なり。と、号砲一発響きわたって喊声が上がった。町の中学校の対抗駅伝大会が始まったらしい。かつての自分を見ているような気分になる。あ、抜かれた。諦めるな、抜き返せ。 (仄起平声支韻枝祠児 1996.10.31/1997年賀)
 

猪名川彫刻之路 いながわちょうこくのみち

下坂礫蹊回茆軒 さかをくだりれきけいぼうけんをめぐる
田山錦繍四隣存 でんざんきんしゅうしりんにそんす
撫安童子追青令 ぶあんせよどうじせいれいをおうを
傾首展眉地蔵尊 けいしゅてんびのじぞうそん

この坂を下りていくと、砂利道になって、茅葺き屋根の農家の角を曲がると、その向こうに学校があります。田んぼも山も、黄色く赤く色づいて錦のよう。ここ猪名川は、そんな景色に囲まれています。その角に、首をかしげたにこにこ顔のお地蔵さんが立っていて、子どもたちを毎日毎日見送ります。春にはオタマジャクシを、夏にはカナカナ蝉を、今日は赤とんぼを追って走る子どもたちを、見守ってくれています。(仄起平声元韻軒存尊 1995.11.19/1996年賀)
 

寄東田陽博先生高説 ひがしだはるひろせんせいのこうせつによす

陽春融丈雪 ようしゅんじょうせつをとかし
博覧匡紆折 はくらんうせつをただす
対坐異論興 たいざしてろんをことにするたのしみ
応酬同意悦 おうしゅうしていをおなじうするよろこび

春の日ざしが厚く積もった雪を融かすように、先生の博識高覧が複雑にからみあった学説をすっきりしたものにしてくれる。向かい合って座り、互いの議論を譲らず戦わせる面白さ、議論を措いて互いに一献傾け、研究の情熱を語り合う悦び。 (平起入声屑韻雪折悦 1995.9.15/蛋白質核酸酵素誌1995.10所載)
 

暑中 しょちゅう

朱夏方過却熱加 しゅかまさにすぎんとしてかえってねつのくわわり
群蝉怖夜益諠譁 ぐんせんよるをおそれてますますけんかなり
鶴望爽節冷卑酒 そうせつをかくぼうしてひしゅをひやし
雀躍雷光代烟花 らいこうにじゃくやくしてえんかにかう

八月も後半になり、夏も下り坂に向かおうとしているが、夏ばてのせいか、かえって暑さが増したようにさえ感じられる。昼間は大群の蝉が木々にとりつき、夜が来るのを恐れるかの用に、時間を惜しんで鳴いている。ぼくはといえば、早く涼しい季節にならないものかと願いつつ、今日も冷蔵庫にビールを冷やす。お。急に暗くなってきたぞ。雷雲だ。遠くの方でゴロゴロいっている。や、大粒の雨が落ちてきた。一雨来ると涼しくなるな。ピカッ。光ったー。しめしめ、近くに来ないうちは花火がわりに楽しもう、とビールを出して縁側に陣取る。何を隠そう、ぼくは昔から雷が大好き。(仄起平声麻韻加譁花 1995.8.13/1995残暑見舞)
 

桃栗三年柚子十八年 ももくりさんねんゆずじゅうはちねん

鮭返三秋後運瀛 さけはさんしゅううみをめぐってのちにかえり
蝉鳴五夏及潜坑 せみはごかあなにひそむにおよんでなく
積年十二爾何作 せきねんじゅうになんじなにをかなせるや
未定甘酸柚果評 いまだかんさんゆうかのひょうをさだめず

鮭は母の川を巣立って3年間、海をめぐってから故郷に帰るという。蝉は卵から孵って5年間、土中の穴に潜んで育ってから木に登り、最後の夏を鳴くという。私は三菱生命研にお世話になって12年、今まさに巣立とうとしているところだ。この間どんな業績を挙げたというのか。待て待て、桃栗は3年で実をつけるが、ゆずは18年経たないと実を結ばないというだろう。12年では、そのゆずの実が甘いか酸っぱいかは、まだわからない。 (仄起平声庚韻瀛坑評 1993.11.1/1994年賀)
 

自勝沼経御坂峠至河口湖 かつぬまよりみさかとうげをへてかわぐちこにいたる

曲蹊連谷万松層 きょくけいたにをつらねてばんしょうかさなり
隧道終空富岳興 すいどうくうにつきてふがくおこる
飛燕時排霖雨幕 ひえんときにりんうのまくをおしひらき
鳴蛙忽匿碧山稜 めいあたちまちへきざんのりょうをかくす

富士山を見にドライブしよう。御坂峠。旧道と新道とがあるけれど、旧道を行こう。うねうねと続く谷あいの道の両側はアカマツの林。あれウグイスの声がする。だいぶ登ったな。トンネルだ。旧道のトンネルは明かりがなくて真っ暗だね。もうすぐ抜ける。抜けた。わ、まぶしーい。道が尽きて空に飛び出したかと思った瞬間、その真っ正面に、それこそ飛び出す絵本を開いたときのように、いきなり富士山が立ち上がった。大きいね。青いね。ツバメが飛んで梅雨のとばりを押し開き、雄大な山容を見せてくれたと思ったのも束の間、雲を呼ぶようにカエルが鳴いて、たちまち稜線は隠されてしまった。(平起平声豪韻層興稜 1993.6.27)
 

町田小山田尾根緑道看紫陽花 まちだおやまだおねりょくどうにてあじさいをみる

携傘雨中行狭斜 かさをたずさえうちゅうにきょうしゃをゆく
低高連亙紫陽花 ひくくたかくれんこうするしようか
梅桜躑躅移期月 ばいおうてきちょくきげつをうつし
陽日陰霖亦僣奢 ようじつもいんりんもまたせんしゃなり

日曜日だからとゴロゴロされては邪魔なばかりと家人に促され、今にも泣き出しそうな梅雨空ながら傘をぶら下げて公園横の細い坂道を上っていった。大玉のガクアジサイとハナアジサイが赤く青く、緑に紫に、高く低く、ずらーっとえんえん続いて咲いている。三月は梅がきれいだった。四月には桜が、五月にはツツジが見事だった。そして今このアジサイと、尾根緑道はひと月ごとに違った花々に彩られる。晴れた日だけがゴージャスというものでもない。陰気な梅雨の時節にもまたその風情がある。自宅の庭ではないけれど、身分不相応にリッチな気分になってくるじゃないか。 (仄起平声麻韻斜花奢 1993.6.20)
 

寄工藤先生中日薬理学会議北京行 くどうせんせいちゅうにちやくりがくかいぎにぺきんにゆくによす

両府梅桜無競妍 りょうふのばいおうけんをきそうことなく
遷時別処彩城前 ときをうつしところをわけてじょうぜんをいろどる
日中科学不争覇 にっちゅうかがくはをあらそわず
互助相輔究九淵 ごじょそうほしてきゅうえんをきわむ

北京の梅花、東京の桜花。咲き競うことはしない。季節が違う、場所が違う、それぞれにそれぞれの街をいろどる。日中の科学協力もまた同じこと、競い争うのではなく、互いに力を合わせ、足りない所を補いつつ真実を明らかにしていくのだ。日中会議に出かけるボスが、北京で揮毫でも求められた時に備えて、思いっきりクサーく作ったもの。とはいえ平仄押韻は守っている。 (仄起平声先韻妍前淵 1993.5.15)
 

偶成 ぐうせい

倥偬失機観夜桜 こうそうとしてきをしっしやおうをみる
西望繊月踏紛英 にしにせんげつをのぞんでふんえいをふむ
花無喜発無憂散 はなひらくによろこびなしちるにうれいなし
人曷遑遑著枯栄 ひとなんぞこうこうとしてこえいにつくや

なんだかんだとあわただしく時を過ごしているうちに花見のタイミングを失ってしまい、しかたなく夜桜見物になった。しかしそれがよかった。西の空に細い月がかかっているのに向かって、花びらを踏みながらゆっくり歩く。ため息が出るほど幻想的に美しい。しかし考えてみれば、花は咲くにあたって、大喜びをするわけでもない、散るにおよんで悲しむでもない。毎年毎年淡々と自分の営為を守っているだけだ。それにひきかえ、人はちょっと枯れれば嘆き、ちょっと栄えれば有頂天になり、なんと執着の鬼であることか。(仄起平声庚韻桜英栄 1993.4.25)
 

竹渓寺山宏先生返詩 ちくけいてらやまひろしせんせいにしをへんず

不知所以老師名 ゆえんをしらずろうしのな
漫想王維両館宏 みだりにおもうおういのりょうかんのひろきを
今接高吟初得意 いまこうぎんにせっしてはじめていをえたり
竹賢教我聴渓声 ちくけんわれをしてけいせいをきかしむ

竹渓という先生の号がどういう由来なのか知らないまま、ただ「先生は盛唐の大詩人王維に心酔していらっしゃるのだろう。王維には藍田の竹里館と皇嶽の雲渓荘という二つの宏壮な別宅があったというから、両方から一字ずつをとって竹渓としたのかしら。それにしても中国で宏壮といったら一体どれくらい広いのだろう」などと勝手に想像していた。ところが、今日先生の詩集をいただいて拝読し、はじめて意味が分かった。竹林の賢人が現れて、ぼくに「渓流のせせらぎに耳を澄ませなさい、ありがたい教えが聴こえてくるから*」と諭している図なのだな、これは。
*「渓声便是広長舌、山色寧非清浄身(蘇東坡)」に因む (平起平声庚韻名宏声 1993.3.24)
 

帰去来 ききょらい

輜車蟻集毀青岡 ししゃぎしゅうしてせいこうをこぼち
逐索蝦蝌遷鄙郷 しゃかをちくさくしてひきょうにうつる
祭鼓鼕鼕揺藕蕾 さいことうとうぐうらいをゆらし
吾倉躁躁本田郎 われはにわかにそうそうもとよりでんろうなればなり

八年住み慣れた成瀬の山に、ブルドーザーが蟻の群がるように集まり、木々をなぎ倒して岡を削平していく。いたしかたなく、ザリガニやオタマジャクシがまだ元気に生きている場所を追い求めて、ここ小山田のひな里に引っ越してきた。小山田には、糸をとって織物を作るためのハスの田んぼがあって、夏の朝早起きして見に行くと、大輪の花がこぼれるように咲き誇り、ぎぼし形のつぼみが数日後に咲く花の色を、その先端に予告しながら、ひょろりと伸びた茎の先で出番を待っている。と、遠くから夏祭を告げる太鼓の音が響いてきてつぼみを揺すり、ぼくは急にそわそわした気分になってきた。そう、ぼくはもともと田舎者なのだ。 (平起平声陽韻岡郷郎 1992.8.15)
 

不老翁 ふろうおう

北陽綢葉呼風好 ほくようははにまつわりかぜをよんでこころよし
桧樺集精翁不老 かいかせいをあつめておうおいず
檣下蜻蛉休翅長 しょうかにせいれいはねをやすめてひさし
知名得意延齢草 なおしりていをえたりえんれいそう

札幌南の夏の朝、陽光は木々の葉にきらきらとまつわりついて輝き、葉陰を抜けてくる涼風は、すでに秋の気配を含んで心地よい。庭に植えられたそれらを指して、あれはドイツトウヒ、あれはウダイカンバと説明を加える翁は、木々の集める精をたっぷり享けて、相変わらず老いを知らない。生け垣の根方に、丈の低い葉の広い草がある。その葉の上にアキアカネが羽を休めてじっと動かない。あれはなんという草ですか? オオバナノエンレイソウといってね、春白い花を咲かせて、北大の校章にもなってる草だよ。なんと縁起のよい名だろう。不老長寿の秘密がここにもあったのだ。(平起上声皓韻好老草 1991.8.30)
PS. 翁は1994年9月、大往生を遂げらる
 

詠炭鉱住宅 たんこうじゅうたくをよむ

孤鳶振翼導羈輿 こえんつばさをふるってきよをみちびくも
所到山閭蓬戸疎 いたれるところのさんりょはほうこまばらなり
問老此辺存学校 ろうにとえらくしへんにがっこうのありや
答聴而正倚門墟 こたえにきけらくなんじまさにもんきょによる

赤平から、かつては日本の産業を支えて賑わった炭鉱の町、歌志内に向かう。そこは家人の生まれ育ったところ。森陰からやおら一羽の鳶が現れて、旅の車を先導する。非舗装の山道をたどって着いたところは、人口が激減して鉄道も廃止され、昔の「駅前」商店街を過ぎれば、もう人家もまばら。しかし、町外れに炭鉱住宅がまだ残っていた。義母が、このあたりに子供たちが通っていた小学校があるはず、という。炭住の小さな花壇で、盛りを過ぎたヒマワリを刈っていた老人に訊いてみる。もしもし、小学校はどこですか。老人は遠くを見るような目をして答える。あんたが今よっかかってるその石、それが昔の上歌小学校の門柱じゃがな。校舎はとっくに取り壊されて、残ってるのはその門柱と運梯の土台くらいかね。 (平起平声魚韻輿疎墟 1991.8.26)
 

●1990年以前の作は、自家出版「春懐」に所収。以下はそれに未収録の作です。

岩上 おんざろっく

帰房真闇点貧灯 ぼうにかえりしんあんにひんとうをてんず
牀上擲身天井弘 しょうじょうにみをなげうてばてんせいひろし
朝仰宵瞻無所変 あしたにあおぎよいにみあぐるもかわるところなし
弾琴書案盞中氷 ことをだんずるはしょあんさんちゅうのこおり

寮の自室に夜遅く戻り、真っ暗闇に貧相なあかりをともす。オンザロックを作り、ため息を一つついて、ベッドの上にどさっと仰向けに身を投げれば、殺風景な白天井がやけに広く見える。毎朝起きては見上げ、毎晩床に就いては見上げているが、なんにも変化がない。当たり前だが、何か変わっていてもよかりそうなものだ。からりんと音がした。書見机に置いたグラスの氷が融けて動いたようだ。(平起平声蒸韻灯弘氷 1978.5.31)

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●020112 漢詩の作り方
この二十数年、年賀状に自作の漢詩もどきを載せていますが、例年何人かの方から、どのように作るのかと、ルールを問われます。そこでごく簡単に原則を説明します。

0. 基本は中国語です。動詞は目的語の前におきます。副詞は動詞の前、形容詞は名詞の前におきます。まあ、英語と大体同じです。一見漢字であっても実は日本製の字があります。「峠」とか「畠」とか。これらには中国音がないので読みようがなく、使えません。また、純正の漢字であっても、日本と意味が違うことがあります。たとえば「桜」という字は日本ではサクラですが、中国語ではユスラウメです。漢字の熟語も日本製のものが多いので気をつけます。「仕事」とか「出張」なんて書いても通じません。でも、私はわざとちょっと混ぜたりします。中国語からみれば外来語なわけです。俳句や短歌に「サラダ」とか「チョコレート」とかが入ってることがあるでしょ、あれと同じ。でもやりすぎると品がなくなります。

1. 漢字には、それぞれ固有のアクセントがあります。平声・上声・下声・去声といいます。詩では上・下・去は一まとめにして仄声といいます。これらは短い音です。それに対して平声は伸ばせる音です。つまり漢字は平声(長音)か仄声(短音)かに二分され、その長短でリズムを作るのです。なぜかというと、漢詩はもともと歌うものだからです。平声ばかり仄声ばかりがつづくとメロディに乗せられません。たとえていえば、短歌が五七五七七、どどいつが七五七五に決めてあるのと同じです。あれも歌うためですね。たまに、平仄どちらにも読める字や、意味によって発音が変わる字もあります(動詞に使うときは平、名詞に使うときは仄とか)。

2. さてそのリズムですが、七言絶句の場合、七文字×四行を、?は平仄どちらでもよい字として、
?平?仄?平平
?仄?平?仄平
?仄?平?仄仄
?平?仄?平平 か(平起式)、

?仄?平?仄平
?平?仄?平平
?平?仄?平仄
?仄?平?仄平 か(仄起式) 

に並べます。つまり、中国語として意味が通じても、場所によって使える字と使えない字が出てくるのです。これを崩すと、中国語で声に出して歌ったときにリズムが狂うので、あえてリズムを狂わして強調したいとき以外はやってはいけません。これが漢詩作りの、一番難しく、かつパズルのように面白いところです。上に書いたように、短歌は「五七五七七」が大原則で、これを崩したら短歌にならないのと同じです。たまにわざと平仄を崩すのは、短歌でたまにわざと「字余り」を入れてリズムを崩すのと同じ、一種の技巧と考えればいい。
今年(2002)の年賀状作で具体的にいえば、
雲高百万画素秋、は平平仄仄仄平平
山色誘人鳶嘯優、は平仄仄平平仄平
回首新聞戈剣響、は平仄平平平仄仄
則天之道尚存不、は仄平平仄仄平平 
と平起式を守っています。最後の「なおありやいなや」を「尚有不」とすると、仄仄平となってルール違反なので有をやめて存にし、「尚存不」としているのです。このように、ルールに合う字を探してきて当てはめることを斡旋といいます。あっせんという語はふだんの会話にもよく使いますが、もともとは作詩用語です。

3. さて、一・二・四行目の末の平字は、平の中でも同じグループの字を持ってくる必要があります。押韻といいます。上の例でいえば秋・優・不はいずれも尤韻というグループに属します。尤韻にはほかに休・九・収などたくさんの字が属しますから、比較的使いやすい韻です。江韻とか塩韻とかは属する字が少ないので、使いにくい。ただし、韻に選んだ字と同じ韻の字はそこ以外には使えないというルールがあるので、油断はできません。これを冒韻といい、支韻とか陽韻とかは最大の韻字グループで、押韻しやすいかわりに冒韻も起こしやすく、かえって使いにくくもなります。

4. 一行の七文字は、意味上○○、○○、○○○と切ります(五言の場合は○○、○○○)。○○○、○○、○○などと切ってはいけません。これも俳句や短歌の「切れ字」と同じです。たまにわざとやって強調する場合は別ですが。俳句・短歌の「句またがり」と同じです。

5. このほか、同じ字を二度使ってはいけない(堂々とか燦々とか、もともと同じ字を並べた形容詞は例外)とか、各行四文字目の平字の両側を仄字ではさんではいけない(孤平禁という)とか、その逆とか(孤仄禁)、各行最終三文字を平平平や仄仄仄と並べてはいけない(下三連禁という)とか、細かいルールがいろいろありますが、それはあまり重大ではなく、李白や杜甫にも破っている名詩がたくさんあります。 

6. 絶句の倍の長さの八行からなる律詩は、平仄については絶句を二つ続けた形式です(ただし五行目の末字は仄)。ただ長さが違うだけのように見えますが、三行目と四行目、五行目と六行目をそれぞれ対句にしなくてはなりません。絶句は対句にしなくていいので、詩心が浮かびさえすれば一気に作れますが、律詩はこの対句にする必要から、詩心だけでは足りず、かなり技巧が要ります。私の訳書「ニューロンの生物学」の訳者序に載せた七言律詩では、
 三行目 烏焔遅懸雲帳析 うえんようやくかかってうんちょうさけ (烏焔=太陽)
 四行目 鴻船疾駆軌途開 こうせんはやくもかけてきとひらく (鴻船=大きな船、ここではジャンボ機) 
 五行目 古図有蝕求針往 こずむしばみあってしんをもとめてゆき
 六行目 新墾無標得意回 しんこんしるべなくいをえてかえる
としていますが、烏⇔鴻、遅⇔疾、析⇔開、古⇔新、有⇔無、求⇔得、往⇔回と、必死に文字を探した様子がありありと見えるでしょう。